「藻が湖伝説」は山形盆地版のほか、東北各地に複数の異なるヴァージョンが存在する。それらはスタンダードな歴史伝承から逸脱し、各地の生態系や災害等の出来事を自在に織り込んでいる。「藻が湖外伝・序曲」は、蛇・蟹・亀などの登場するそうした各地のヴァリエーションを収集し、アジアや山形に積層する伝承や遺物と関連付けながら、新たに創作したイメージの複合である。
2020年の山形ビエンナーレで制作した作品を再構成した作品。2020年はコロナ禍のため、想定した形で発表することが叶わなかった。2年の時を経て、展示発表に至ったが、再現ではなく新たに更新した『藻が海ヘテログラフィー』を試みた。
会場全体を藻が海と見立て、それを隔てる岸壁のような構造で、私たちの作品をくぐり抜けることで藻が海の海底へと踏み入れる。壁面には文化人類学者・石倉敏明による創作神話が刻まれる。
文化人類学者・米山俊直によって提起された「小盆地宇宙」の典型例として、人間集団の集住するコンパクトな地勢の中に、数千万年に及ぶ時間の中で形成された地質学的な現実や、鳥獣虫魚や微生物といった無数の存在どうしの相互作用を含み、人間と非人間の総体によってダイナミックに展開する宇宙論を形成してきた。このような全体運動の中で、土と風、火と水、人と機械、神仏と異形の者たちによって織り成される「山形曼荼羅」の断片から、テキストと造形物による「藻が湖ヘテログラフィー」の物語が生成する。
山形ビエンナーレ
藻が湖外伝 2022
かつて山は、海であった。山々の間に無数の「藻が湖( も うみ)」がひろがっていた。火山が爆発し、あふれ出す溶岩が、何度も入江の形を変えた。雄大な丘は無数の岬であり、魚たちが餌を求めて入江を泳いでいた。地下水の湧く湖底には藻類が茂り、貝やエビが浅瀬に住み着いた。湖を泳ぐものは、鰭のある魚だけではなかった。蛇や亀、優美なカイギュウがその湖をゆったりと曳航し、河口の湿地にはナマズやウナギが棲みついた。その頃はまだ、どこにも人は存在していなかった。
最初の人は「鳥の湖(とり うみ)」の方角から、舟に乗って現れた。人は気の良い魚たちを釣り上げ、魚は人をそそのかして、深い湖の中に誘い込んだ。やがて、人と生き物たちは互いに贈り物を交換した。最初の人は、陸地で生きて行くために舟を降りて、水辺に小屋をつくった。彼らは亀・蛇・蟹と結婚し、それぞれの子孫が生まれた。彼らは、藻が湖に浮かぶ島、岬の岸壁、水源の沢地を住まいとするようになった。この三つの部族が、すべての「藻が湖人」の祖先となった。
あるとき、亀と蛇の戦いが起こり、蛇の部族が勝利した。負けた亀の部族は、亀割山の向こうの土地へ避難した。その後、蛇と蟹の戦いが起こった。一人の僧侶が現れて、戦いを止めるために、大きな木槌で山を打ち砕いた。藻が湖の水は、穿たれた穴からゴウゴウと溢れ出し、水が引いた土地には広大な盆地が生まれた。穴の向こうには、太陽の沈む方角に流れる大きな川が現れた。蛇が逃げた跡は、ウネウネと大地を縫う山襞になった。蟹の部族の子孫は、広漠とした沼地を干拓した。
古代の海の記憶は岩に刻まれ、平地は田畑に生まれ変わった。死者の魂は絵馬に描かれ、鳥に導かれて八つの山々に運ばれた。浄化された魂は月の山に昇り、衆生を見守るようになった。蟹の部族の子孫は、稲穂を刈り取る車を発明し、鋼鉄の馬に乗って石の道を走った。川は平野を潤し、色とりどりの果実と黄金の稲穂が盆地を彩った。祖先たちは、毎年夏になると蝶や蜂や蜻蛉の姿になって里へ戻ってきた。生者は祖先の化身に甘い水を与え、短い再会を楽しむのだった。